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「拉通」とは、2003年6月に千葉県のラーメン情報を発信するインターネットサイト「千葉拉麺通信」から生まれたラーメン店です。お店とお客さんが交流を深めながら、理想の味を作り上げていく場として、また千葉のラーメン好きな皆さんと千葉でラーメン店を営む方々が集える、そんな素敵な場所になればと思い「拉通」と名付けました。 ラーメンサイトがユーザの声を反映させて作る、史上初、新しいスタイルのラーメン店。既存のラーメン店を週末だけ間借りして営業する週末限定のラーメン店。レギュラーメニューを総入れ替えして、常に新しいメニューが並ぶラーメン店。県内外の人気ラーメン店を招き、ラーメンイベントも開催するラーメン店。2003年〜2005年、2年の間ラーメン界に衝撃を与え続けた第1期ra2を振り返ります。 |
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(らーめんむつみ屋稲毛海岸店を間借りして営業) 営業時間:11:00〜翌1:00(土)11:00〜22:00(日) ※現在は拉通、むつみ屋共に営業していません ![]() |
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■拉通開業前夜 「千葉拉麺倶楽部 拉通(ra2)」は、千葉拉麺通信の100万アクセスを記念した企画「拉麺店創成」の中から生まれました。それまでも千葉拉麺通信では「県内ラーメン店の情報発信をし、千葉のラーメンを盛り上げて行こう」という理念の下、オリジナルカップラーメンの全国発売や、創作ラーメンによる数々のイベントなど、千葉拉麺通信独自の企画を通じて「新しいラーメン情報の発信」をしてきました。 カップラーメンの全国発売、そして創作ラーメンの発表。このHPの100万アクセスを記念する企画として「次に何をやろう…」と考えた時、答えは一つしかありませんでした。あとは「本当のラーメン店」を立ち上げるしかありません。「千葉のみんなで作り上げる新しい理想のラーメン店」を立ち上げるこの企画では、2002年5月にHP上に企画を発表し、実際の厨房に立つ「ラーメン店長」と店の経営をする「オーナー」を募集しました。 その結果、ラーメン店主には現在ラーメン店を営んでいる方、ラーメン店に勤務している人、まったく素人の人を含めて、メールを下さった志望者が68人。そのうち書類選考によって面接した方が11人。千葉市内のホテルで数日に分けて行われた面接には、メディアの視点から千葉ウォーカー編集部ラーメン担当(当時)の高根澤元氏、ラーメン店を営んでいる人の立場から浦安マルバ店主の小松征司氏にも参加して頂きました。厳正なる審査の結果、勝浦市で「南房総とんこつらーめん研究所旨勝1号」を営む、川崎隆一が店長に選ばれました。川崎は応募時にこんなメールを千葉拉麺通信に寄せてきました。
オーナーは個人3名、企業2社が名乗りを挙げましたが、条件や企画主旨に折り合わず交渉は難航し、最終的に「土日だけ店舗を貸す」という条件で「らーめんむつみ屋稲毛海岸店」をFC経営する会社と交渉が成立しました。同時に「らーめんむつみ屋」をチェーン展開する竹麓輔氏にも変則的な間借り営業を快諾していただきました。 また「むつみ屋稲毛海岸店」店長の工藤英城が拉通プロジェクトに参画。荻窪春木家本店、世田谷長浜など多くの店で厨房に立つ工藤との2人3脚により拉通のラーメンを生み出すことになりました。 これまで独学でラーメンを作ってきた川崎は、当初オリジナルのラーメンを作るのに苦労しました。オープニングメニュー開発時には「13湯麺」店主松井一之氏や「らーめん房やぶれかぶれ」店主岡崎幸一氏が、また味噌ラーメン開発時には「香味拉麺はな乃」店主菅野義正氏や「らーめん大吉」店主廣瀬功氏。つけ拉開発時には「佐貫大勝軒」店主田代浩二氏など、県内外のラーメン店主さんも開発に協力し、色々とアドバイスを下さいました。 そして企画立ち上げから1年1ヶ月。2003年6月1日に、「千葉拉麺倶楽部 拉通」は産声を上げたのです。オープン日に出来た行列はおよそ200人。以来丸2年にわたり数多くのラーメンを創作し、様々なスタイルのラーメンを提供し、そして多くのラーメン店主さんをお招きしてイベントを開催しました。 2005年5月28〜29日、4つのラーメンイベントを開催して、第1期拉通は惜しまれながらも2年間の歴史に終止符を打ちました。 |
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■川崎と工藤 拉通はプロデューサー山路のアイディアや、県内ラーメン店主さんのアドバイス、あるいは千葉拉麺通信ユーザの方達の意見を採り入れて数々のラーメンが生まれて来ましたが、それらのすべてを形にしたのが川崎隆一と工藤英城の2人の若きラーメン職人でした。 オープン時、川崎は「お客様の立場に立ち、こんなラーメン、こんなお店があったらいいなぁ〜を実現させるお店にしたいと思います。『真心を一杯込めておもてなし』を教訓に、一生懸命がんばります!」とコメント。一方工藤も「ラーメン好きな人と店主さんの考えが一つになる、千葉のラーメン会議場のような店にしたいです。どこにも負けないすごい味を作ります!」とコメントし、拉通をスタートさせました。 メキシコに1年もの間料理修業に行き、帰国後友人達とメキシコ料理店を開業。そしてトレーラーハウスを改造して「南房総とんこつらーめん研究所旨勝1号」を開業。独学でラーメンに向き合ってきた男、川崎隆一。一方荻窪の名店、春木家本店でラーメン人生をスタートさせて、世田谷の長浜ラーメンを経てらーめんむつみ屋の店長を任されている、華々しいキャリアを持つ男、工藤英城。正反対とも思える2人がいいコンビとなって、第1期拉通を運営していきました。 どちらかといえば実践派で革新的な川崎と、理論派で保守的な工藤。最初はまったく意識や考え方が正反対だった2人ですが、日々の営業を通して数々の創作ラーメンを一緒に作り上げていく中で、2年の間にお互いの意識や気持ちが近い位置に近付き、最終的には鉄壁のコンビになっていました。 ■拉通イズム 拉通のメンバーの中でよく「拉通イズム」という言葉が使われますが、既存の価値観に挑戦するのが拉通の考え方でした。土日のみ暖簾を掛け直して営業するスタイルや、イベントスペースとして変化するスタイルはもちろんのこと、創作ラーメンの一つ一つに驚きと衝撃、そして新たな試み、仕掛けがありました。「これって他の店でありそうじゃん」これがプロデューサー山路お決まりのダメ出しの言葉でした。他の店では十分商品として成立するモノでも拉通ではダメ。山路の拉通に対する考えこそ「拉通イズム」拉通は実験的ラーメン店でなければならないのです。いつの間にか川崎、工藤共に同じ拉通イズムを共有し、ダメ出しの回数も減っていきました。 拉通イズムの数々。それはたくさんの創作ラーメンに現れています。既存の具材の否定から始まったレギュラーラーメン。初代黒拉では、レタス、山くらげ、ガーリッククルトンなどを浮かべ、2代目黒拉では、黒胡椒QQに白胡椒タピオカ、そして濃味醤油では新発想の揚げナルトを浮かべました。レギュラーラーメンでこれですから、限定ラーメンでは更に挑戦的なアプローチが続きました。2代目辛拉ではスライスした完熟バナナ、初代とろ拉ではポテトサラダ、3代目辛拉ではサボテンにトルティア、極め付けはGTFMに乗ったバニラアイスクリーム(笑)。今でこそ珍しくない黒胡麻を使った黒い担担麺や、正反対の真っ白な担担麺。あるいは鶏白湯ラーメンやWテイストラーメンも早い段階で挑戦し好評を博していました。 そして究極、伝説とも言われる限定ラーメンの数々。辛拉スペシャルでは世界最強の酒「スピリタス」に火をつけてラーメンに吹き掛けました。2代目冷拉では和出汁を氷らせて作った器に冷やし中華を入れました。また秋拉は焼いたサンマを丸まる一匹乗せた大胆なビジュアル。八百拉はスープから具材に至るまで動物、魚介を全く使わない、野菜のみで作ったラーメン。豚骨純麺は豚骨のみを使用し、調味料を一切使わずスープの旨味のみで食べさせる一杯。Gは既存の味ではなく新たな味のスープにチャレンジ。ニンニクでとったポタージュスープという大胆な手法に挑戦しました。 麺についての考え方にも拉通イズムは踏襲されていました。1年目はメニューに応じて麺を変える一般の風潮を逆手に取り、1種類で勝負。また2年目は逆に全てのメニューで麺を使い分けるなど、常に既存の価値観に挑戦し続けたのが拉通でした。 |
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