四街道51号沿いの「ラーメンねもと」が、8月28日をもって39年間の歴史に幕を閉じた。かつては「日本一売れるラーメンショップ」とも言われたこの店。かつてのような人気ではないものの、今もなお多くの客が足を運ぶ人気店であった。閉店の理由は私には分からないが、客足の衰えという事は無いだろう。考えられるのは建物の老朽化であったり、後継者がいなかったりといった、売上云々とは別のところにあるのではないかと推察する。
戦後、多くのラーメン店が次々と出来て、その中で今もなお残っている店の場合、創業して70年ほどになる。その世代のラーメン店の場合は、すでに二代目なり三代目に代替わりされているが、戦後のいわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人たちが開業した店になると創業して40〜50年。店主の年齢にすると60代後半から70代になるだろう。今、この世代のラーメン店の閉店が相次いでいる。
かつて日本には家業という考え方があり、農家に生まれた者は農家として、商店に産まれた者は商人として生きる事が当たり前の価値観の時代があったが、戦後民主主義の浸透によって、その価値観は崩れていった。この教育を受けてきた団塊の世代は、前時代的な家業という価値観を是とはせず、自分の仕事を子供に継がせるという事が必ずしも正しいとは思っていない。結果として、自分限りで店を閉めるという事に繋がっている気がするのだ。
自分勝手である食べ手の立場としては、いつまでもその美味しいラーメンを食べ続けていたいと、まずはその店の存続を願ってしまうが、まずそれ以前にそれまで美味しいラーメンを作り続けてきた店主さんに心から感謝したいと思うべきなのだろう。そして「長い間お疲れ様でした」と言うべきなのだろう。
いつでもそこに行けばそのラーメンがある、という安心感から、老舗への足が遠のき新店を食べ歩く日々。しかし世の中は諸行無常、ずっとそこに在り続けることの方が稀有なのかも知れない。老舗の閉店の報せを聞くと、なぜもっとたくさん足を運び食べておかなかったのかと自責の念にかられることが常である。そして、年に一度行くか行かないかといった自分が、店に駆けつけて別れの一杯を頂く事が果たして正しい事なのか自問自答する。閉店までの営業ではそれまで足繁く通った、この店を心から愛した人たちがラーメンを食べるべきなのではないかと思ってしまうのだ。
しかし、最後の一杯が食べたい気持ちが勝り、結局は足を運んでしまう。同じ時代にラーメンを好きでいて、そのラーメンを食べる事が出来た奇跡に感謝しながら、店主のラーメンを作る姿や店の佇まいを目に焼き付け、ラーメンの味を全身で感じる。そして常連ではない私は、心の中で静かに別れを告げるのだ。
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