【コラム】感謝

 木更津で四半世紀にわたり白河ラーメンを出して来た人気店「白河ラーメンみちのく」が、11月30日をもって24年間の歴史に終止符を打つ。福島県白河出身の店主、鶴岡敏子さんはラーメン経験などまったくない素人だった。しかし、どうしても子供の頃から慣れ親しんだ味の白河ラーメンを作りたいとラーメン店の開業を決意。「とら食堂」二代目大将である竹井和之さんに修業を申し出た。
 竹井さんは鶴岡さんに「ラーメン屋は大変だからやめときな」と言ったが、その熱意に負けて弟子入りを許可。しかし、当初はすぐに諦めるだろうと思っていたとか。鶴岡さんは毎週末に白河まで通ってとら食堂で修業を重ねて、竹井さんに認められて開業を許された。
 「あんなに根性あるとは思わなかった」と語る竹井さん。オープン時には竹井さんも手伝いに入り、とら食堂のカエシも渡したのだそう。麺は力仕事で毎朝打つのは大変だろうと、白河の製麺所に依頼したものを使うことにした。スープの取り方やチャーシューの作り方はもちろんとら食堂直伝。タレはとら食堂のタレに継ぎ足して作ったもの。優しくもありどこか懐かしさもあるみちのくのラーメンは、文字通り老若男女多くの人たちに愛されて来た。
 私が初めてみちのくのラーメンを食べたのはもう15年程前になる。ラーメンの食べ歩きを始めて間もなかった私は、もちろんとら食堂も食べた事がなかった。私にとって最初の白河ラーメンは鶴岡さんが作ったラーメンだった。以来、雑誌やテレビ、ラーメン本などの取材でお世話になったが、律儀で義理堅い鶴岡さんは季節の折にはいつも達筆のお手紙で近況報告を下さった。そんなに頻繁に行くことは出来なかったが、行くといつも喜んで迎えてくれて、自慢のコーヒーを御馳走になった。
 閉店の知らせはやはり達筆のお手紙で知った。便箋二枚にわたる24年の想い。すぐに駆け付けなければと思いつつ、数週間経っての訪問。久し振りにお会いしたのに、鶴岡さんはいつもと変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。そして久し振りに食べたラーメンもしみじみ旨かった。
 翌朝、竹井さんにみちのくに行って来た事を連絡した。竹井さんにとっても鶴岡さんは自慢のお弟子さん。竹井さんに会うと、いつも「鶴岡さんは元気でやってる?」「みちのくを宜しくね」と言われたものだった。竹井さんもみちのくの閉店を寂しがっていた。
 帰り際、鶴岡さんが渡してくれた手紙。おそらく取引業者さんや常連さんなどに渡されるものなのだろう。そこには「感謝」の文字とともに御礼の言葉が綴られていた。私の方こそいつも気にかけて頂いて、長い間美味しいラーメンを作って下さって、感謝以外の言葉が見つからない。24年間、ありがとうございました。そして御馳走様でした。
 


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